遅くなってしまいましたが・・・
前回の公開講座の様子です。
今回のテーマは
「筒茶碗(つつじゃわん)夜咄し(よばなし)短檠(たんけい)」
忠臣蔵のストーリーに寄せて、夜咄しの雰囲気で義士茶会を開きました。
夜咄しとは、夜の最も長い、冬至に近い頃に行う茶事七式の一つで、
ゆらめく蝋燭の炎に照らされた席は何とも言えず、風情も格別です。
「忠臣蔵」はご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、
江戸時代、正式には元禄15年、12月14日深夜
前年の桜の季節に切腹した主君の仇を討つべく、
義士たちが自分たちの命をかけて
仇敵・吉良上野介の屋敷に討ち入った事件です。
当日も茶会があり、在宅であるという確信のもとに
討ち入りが実現したのでした。
※茶会はとても大事にされ、何があっても
中止や延期になることがなかったのです。
討ち入り当日は、雪。
真に主君の雪辱をすすぐということで、
吉良上野介を討ち取った後、白い布に籠を包み
首の代わりに槍の先に付け、高輪の泉岳寺まで行進したそうです。
そんなこの度の茶席。
床の間には「雪天満(ゆき てんみつる)」と書かれた軸と
「石菖(せきしょう)」というほのおの臭いを吸収する葉。
花入れの利休好み写しの「桂籠」。
忠臣蔵をイメージしたお茶室で夜咄しが始まります。
奥にほの白く浮き立っているのが「短檠」です。
短檠とは、丈の低い灯架で、灯明油を入れて
「長灯心」と呼ばれる芯に火を点して使います。
夜咄しにはかかせないお道具です。
茶杓は大高源吾作写し「人切れバ 己れも 死なねばならぬなり」
源吾は町人として宗偏に入門。
この日の茶会が開かれる情報は彼が得たものでした。
また彼は「子葉」という俳号も持ち合わせており、
師の室井其角の詠んだ「年の瀬や水の流れと人の身は」
という句に対して「あしたまたるるその宝船」と
かえしており、その句から、討ち入りが近いことを
かんじとったと言われています。
香盒には、萩焼の「笹」。
討ち入り後は、細川、松平、毛利、水野の
四家の大名たちが、義士たちを丁重に扱い歓待、
中でも大石内蔵助以下17名は細川家に預けられ
手厚いもてなしを受けました。
根岸にある老舗の豆腐料理「笹乃雪」から
名物の豆腐が届けられましたが、
その店の娘の「お静」が義士の一人に
心を寄せていたという逸話も伝わっています。
茶碗は「筒茶碗」という冬場独特の茶碗で、
細長く冷めない造りになっています。
茶巾で茶碗を清める時の扱いと、お茶を点てる時
器を斜めにするという扱いが、平常のお点前とは異なります。
また、主菓子は、木曽の「塩羊羹」、干菓子は信州の「やま柿」。
刃傷事件の大もとは、兵庫県赤穂の塩の製法を
機密にしたからとも言われています。
ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
次回の公開講座は、平成29年1月22日(日)「新春長板一つ飾り」のお点前です。